11とドラクエ〜第一章:呪いの音楽は本当にトラウマになる。

もう10年以上も前の事なので出会いがいつだったか詳しい事までは覚えていません。
始めて存在を知ったのが3なんで小学校入ってからくらいですかね。
友達の家に遊びに言ったとき友達のお兄さんがプレイしてたんです。
ファミコン自体は持ってたしいろいろゲームをやっていましたがRPGというジャンルはそこで初めて知りました。
ラーミアいたしゾーマとか倒してたんでストーリーはもう終盤ですね。
もうね、なんか見てるだけで面白くてずっとプレイしてるのを見てたんですよ。そうなるとやっぱり自分でもプレイしたくなるじゃないですか。
だから親にドラクエ3欲しいと頼みました。でもそう簡単に行くわけもなく、しかもなんか姉に「3は難しいよ」とかいろいろ言われたりでなかなか入手する事ができなかったのですが誕生日プレゼントという事で買ってもらえる事になりました。
もう嬉しいですよ、初めて自分で欲しいって言ったゲームソフトを買って貰えるんですから。
で、お店に行くわけです。

母「ドラゴンクエスト下さい」
っしゃー!!これでついにあのゲームをプレイできる!!!!
ただこの時、まだ重要な事に気付いていなかった。
そう、母は「3」という文字列を出していない。
買ってもらえたのは1。
複雑だ…
それでもドラゴンクエストというゲームをプレイできるという事だけで満足だった。
普通買ってもらったらすぐプレイするが帰ってったら友達が遊ぼうというのでとりあえず遊びに出る。
帰ってきたら既に姉2人がプレイしていた…
家族というのはなかなか残酷である。

まだ子供の自分には1はかなり難しかった。
RPGというゲームに触れる事自体初めてなわけだし幼いから説明書とか読んでもそう簡単に理解もできない。
右と左すらまだよくわからないのにいきなり東西南北と来たもんだ。
スライムで何回も死んだ。
復活の呪文用のノートも作った。
復活の呪文を間違えて苦労するのはドラクエをやった人なら誰もが経験する事だろう。
当時水曜夜7時はドラゴンボールと決まっていた家庭。気付いた時には父もプレイしていた。
父に至っては夜中にこっそりプレイしていたり学校が終わるのが早い土曜日に帰ったらプレイしていたりとかなりハマっていたご様子。攻略本を探すのに何件もの本屋を回った事もあった。これはその後、3と4を購入した時にも経験する。
自分よりも8つ上の姉からはいろいろと裏技や復活の呪文を入手したりと母親以外見事にハマったゲーム。
勿論その当時は「ゆうべはおたのしみでしたね」の意味などわからない。
ぱふぱふもどういう意味なのかあまり理解していない。
やっぱり3がやりたいという気持ちもあったがそれでも十分だった。
今思うとドラクエでゲームオーバーがあるのは1だけですね。


ただやっぱり難しかったのとクリアできないうちに4が発売した事もありクリアしたのはかなり後で、しかも裏呪文使ってクリアしました。
イケてない。かなりイケてない。


11が初めて覚えた俳句:古池や蛙飛び込む水の音

たぶん1に至っては父親の方がやり込んでいるかと。
ちなみにSFCは友達に借りてプレイするが7までやってしまうといろいろと便利な機能に慣れてしまい一人旅、セーブ、ルーラはお城だけ、レベルがなかなか上がらない等でたぶんレベル15くらいで止まってる。

そんな11は剣神ドラゴンクエストがやりたくて仕方がないがアレを1人で、部屋に篭ってプレイしている姿を想像するとなかなかできないものもある。
っていうか21歳無職が1人でアレをやっている所を親に見られたらかなり気まずいだろうよ。夜中に親に泣かれるかも知れない。
まぁ1人PPPHしてるとこ聞かれてるんで今更怖いものはありませんが。


第2章に続く。